原因4:中央銀行の政策

サブプライムローンってなんだかよく分からない。ローンの仕組は?何が問題なの?どういう風に私たちの生活に影響しているの?そんなサブプライムローンの色々な疑問を解決します!

原因4:中央銀行の政策

各国中央銀行の政策

各国の中央銀行は通貨政策を司り、インフレ率の目標を定めることができます。彼らは商業銀行に対しての監督権限がありますし、その他の金融機関についても同様です。それに比べると、住宅バブルやドットコムバブルのような資産の価格バブル防止には関心が薄く、各国の中央銀行は一般にバブルが弾けたあとで行動を起こすことが多いです。バブル事態を防いだり食い止めたりすることは少なく、寧ろ事後的に経済が被る被害を最小化しようとしていました、何故なら、資産バブルの発生を特定したりこれを縮小させるための然るべき財政政策を見つける仕事はまずは経済学者による議論を待つことになるからです。一部の市場観察者は連邦準備制度による介入はモラル・ハザードの増大を招きかねないと懸念してきました。米国会計検査院(GAO)のある批評家によれば、1998年にニューヨーク連邦準備銀行がLTCMを救済したことで、大手金融機関は、高リスクなローンが不良債権化してもそれらの銀行が「大きすぎて潰せない」という理由で連銀が介入してくれると考えるようになったかも知れないと主張しています。住宅価格が上がった根本原因の一つは、連銀が2000年代初頭に金利を下げたことでした。2000年~2003年にかけて、連銀はフェデラル・ファンド金利の誘導目的を6.5%から1.0%に引き下げました。これはドットコムバブルの崩壊と2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を緩和してデフレ懸念を払拭しようとしたものでした。連銀は基本的にインフレ率が低かったことから利下げに問題はないと信じており、その他の重要な要素には注意を払わなかったのです。ダラス連邦準備銀行総裁兼、CEOのリチャード・フィッシャーによれば、2000年代初頭の連銀の金利政策は誤導されていたのだそうです。なぜなら当時測定されたインフレ率は真のインフレ率を下回っていたからで、その結果住宅バブルに繋がる金融政策が導かれることとなったのです。連邦準備制度理事会の現議長であるベン・バナーキンによれば、それは世界的な「貯蓄過剰」によって生じた米国への海外資本の至貯蓄の流入で、このために中央銀行の挙動に関わりなく長期金利が低く留まっていました。連銀はその後、2004年7月~2006年7月にかけてフェデラルファンド金利を大きく引き上げました。これは変動金利型住宅ローンの1年金利と5年金利が上昇する原因となり、従って変動金利型住宅ローンの金利変更は、住宅所有者にとってさらに高いものとなりました。このこともまた住宅バブルが収縮する原因だったとも言えます。なぜなら一般に資産価格は金利とは逆に動くので、住宅投機のリスクが上がったからです。

金融機関の債務水準とインセンティブ

多数の金融機関、中でも特に投資銀行は、2004年~2007年にかけて巨額の資金を調達し不動産担保証券に投資しました。本質的には住宅価値が上がり続けること、家計が住宅ローンの支払いを政情に継続することに賭けたということになります。低い金利で借り入れた資産をより高い金利で投資することは金融レバレッジの1形態でありました。これは個人で言えば持家に二重抵当を設定して調達した資金を株式市場に投資することに似ています。この戦略は住宅ブーム期間中は利益を生みましたが、住宅価格が下降に転じ住宅ローンが債務不履行に陥り始めると巨額の損失を招く結果となりました。2007年以降、不動産担保証券を所有していた金融企業と個人投資家もまた、住宅ローンの債務不履行とこれに伴う不動産担保証券の値崩れによって大きな損失を被りました。2004年に証券取引委員会(SEC)が純資本規制に関して下した決定によって、米国の投資銀行は従来よりかなり多くの借り入れが可能となり、その文は不動産担保証券の購入に注ぎ込まれました。2004年~2007年にかけて米国の5大投資銀行はそれぞれレバレッジを顕著に増大させ、それによって不動産担保証券の価値低下に対する脆弱性が増したのです。これら5大機関が2007年の会計年度に報告した債務は4兆1千億ドルを超えており、これは2007年における米国の名目GDPの約30%に相当しました。更に、新規融資件数全ての中でサブプライム住宅ローンが占める比率は2001年~2003年の10%未満から2004年~2006ねんでは18~20%に増大しており、この一部は投資銀行からの資金調達によるものだったこともわかっています。

投資銀行の破綻

2008年を通じ、米国の投資銀行最大手のうち3行が破産するかまたは他の銀行に捨て値で売られました。これらの破綻は世界的金融システムの不安定さを増す原因になりました。残る2つの投資銀行であるモルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスは商業銀行に転換する道を選び、自らをより厳格な規制下に置くことにしました。危機に至るまでの年月を通じて、米国の貯蓄銀行上位4行は推定5兆2千億ドルの資産や負債をSPVなど簿外のシャドーバンキングシステムに移しました。これは本質的に最少自己資本比率に関する規制逃れであり、お陰でブーム期間中はレバレッジと収益が押し上げられましたが、危機が始まると損失を膨らませました。新しい会計基準ではこれら資産の一部を2009年中に帳簿に戻す必要があり、これは自己資本比率を著しく低下させることが予想されています。ある通信社はこの額は5千億ドルから1兆ドルの間になると推計しました。この効果は2009年に政府が実施したストレステストの中でも絞殺されました。2009年6月にマーチン・ウルフは次のように書いています。「2000年代初頭に銀行業界がやったことの巨大な部分(簿外機関、デリバティブや「シャドーバンキングシステム」そのもの)は、規制逃れの道を探すことが目的だった」。ニューヨーク州会計監査官事務所によれば、2006年にウォール街の経営幹部が家に持ち帰ったボーナスは239億ドルに達しました。「ウォール街のトレーダー達が考えていたのは年末のボーナスのことで、会社の長期的な健全性のことではなかった。システム自体(住宅ローンのブローカーからウォール街のリスク管理者まで)が長期的な負債を無視して短期的リスクを取ることに走っているように見えた。最も破滅的で忌まわしい証拠として、銀行の経営陣のほとんどはそうした投資の仕組をよく分かっていなかったのだ」と語っています。投資銀行員たちの報酬インセンティブが焦点を当てていたのは金融商品を組み立てて得られる手数料であり、そうした商品のパフォーマンスや時間をかけて得られる利益ではありませんでした。賞与の支給形態は株式よりも現金に強く傾斜しており、作成されたMBSやCDOが利益を出さなかった場合でも企業側がボーナスを回収できるようにはなっていませんでした。更に、大手投資銀行が負ったリスク増は上級幹部の報酬額の算定に当って適切に参入されていませんでした。